2016年11月03日

宇多田ヒカル - Fantôme

人間活動に専念し、繁殖したりした宇多田ヒカルさんの新アルバム。 『Fantôme』はおフランス語で「幻」を意味するそうです。文字化けしている人もいるかもしれない。 "ô"はoのうえに山マーク。

先行してリリースされた3曲を「宇多田マネーの匂いがプンプン」、「ウツJ-POPという新境地」と書いた記憶があるのだが、アルバムを通しても、その気配が濃厚になっている。

辛うじて軽やかに聴けるのは1曲めの「道」のみ。 っていっても、タイトル名が道ですよ。 なんというか求道的というか、宿痾を背負ったというか、そういう肩にズーンとくる重苦しさを感じられずにはいられないのですよ。 どうも、長年連れ添った毛むくじゃらの愛犬が死んじまった35歳独身女、みたいな哀しさを感じられずにはいられない。

だからして、やはりウツJ-POPの世界はアルバム自体にもおおっている。無理した感の満載なコマーシャル曲「道」はやはりまあ、宇多田マネーの期待に沿うべく無理して明るく振る舞ったのだろうなぁ、と。

これで、終わりににしてもいいのだが、ちょっと語りたい曲をもう1曲。「忘却」がそれ。陰鬱な曲に、梅雨時の靴下みたいな陰鬱な声のラップ(宇多田さんではない誰か男)が乗る。 もう、ウツまっしぐらなわけだが、「強いお酒」と2回繰り返して歌詞が乗る。

宇多田さんに関しては、本人のつぶやきからウィスキー漬けではないかとの観測記事になったりしている。 それを裏付けるのか? そういうマスコミをあざ笑っているのか? と妄想が広がる。

と、1記事にふた言書きたるようなキャッチーさは健在。だけどこれ、とてもとても新たなる生命の歓びみたいなものを感じられる代物ではない。 子供がかわいくてかわいくて仕方がない時期に次アルバムを出せるタイミングではなし、本当、これからいろいろ大丈夫なのか?

(竹)


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2016年04月15日

宇多田ヒカル - 真夏の通り雨 (Single)

熊本を襲った大地震を深夜までNHKで見ていた。 ひどかったのが、山口智彰というスタッフの傍若無人な報道っぷり。 益城町という町の役場に避難してきた人々に「NHKです!」とインタビューをするのだが、その威圧的な態度はいまどきお巡りさんでも自粛するだろうという高圧さ。精根尽き果ててへたりこんでいる女性に、執拗に「どんな地震だったか」と尋ねる。 涙目で「ひどい地震でした」と一言言い捨てられると、してやったりとばかりに撤退する山口。

ここらへんのマスコミの行き過ぎた報道の権利主張につき、宇多田ヒカルさんもかつてこうつぶやいている。



で、今回紹介する『真夏の通り雨』、日本テレビのニュースショーで流れ始めた曲なんだそうだ。 ちょっと暗に批判した対象に曲を提供するというのは、まあやはり大人の事情なのだろう。

肝心のどんな曲かというのがまだだった。

ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き

こんな調子であり、『花束を君に』と同じくウツJ-Popという新境地を開いてしまっている。

同じ調子の曲ばかりポンポンと2曲も3曲も出してくる、というのはちょっと、なんというか、大人の事情に対する彼女なりの抵抗なのかなぁとも妄想を広げてしまうのです。

(梅)


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宇多田ヒカル - 花束を君に(Single)

宇多田ヒカルさんの3年半ぶりの新曲。アルバム出るまで待つか、とも書いたが結局速攻でダウンロード購入。(朝のドラマとか夜のニュースは先入観つかないように、意識してチェックしないようにしていた。)

花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に

出会いや生の歓びを紡ぐのでないかという勝手な予想は見事に裏切られた。 「突然の別れ」をモチーフとした作品となっている。

前作「桜流し」に比すればその悲壮感一辺倒からすこし離れ、前向きさを感じる。 だが、いかにも公共放送を意識しました的、無難な前向きさ。

作りたいもんがあって、そこの載っかる人たちが出てくるのか、載っかるの前提で曲を紡いでいくのかは知るよしもない。だが、「新聞なんかいらない 肝心なことが載ってない」と言い放つ自由さが無いのは確か。堅苦しくも感じる。

まあ、いろいろ大変なんでしょうね。

(竹)


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